「引退」という言葉は、サッカーを必要以上に崇高にし、その可能性を狭めていないかな?
年末年始の楽しみ。
「第104回全国高校サッカー選手権大会」と「第34回全日本高等学校女子サッカー選手権大会」。
各都道府県決勝から全国大会まで、多くの試合を観戦している。
男子はベスト4が決まり女子は決勝進出の2チームが決まった。
そんなゲームの実況や解説がゲームを盛り上げ、サッカーに馴染みのない人にも分かりやすく伝えてくれることには、いつも感謝している。
ただ、その中でどうしても気になる言葉がある。
「この試合に負けたら引退です。」
去年も同じような文章を書いたが、今年もまた耳にして、やはり違和感は消えなかった。
高校の部活動としての競技サッカーが、ここで一区切りを迎える。
それ自体は事実だ。
でも、それはサッカーそのものの終わりなのだろうか。
負けたら、もうサッカーはやってはいけないのだろうか。
巧くないと続けてはいけないスポーツなのだろうか。
勝てるチームにいないと、関わってはいけないのだろうか。
「引退」という言葉は強い。
ドラマがあり、感情を揺さぶる。
けれど同時に、「ここで終わり」「これ以上はない」という物語を、知らず知らずのうちにつくってしまう。
それを聞いた子どもたちは、どんなふうに受け取るだろう。
特に女子の実況では、今もこの表現を耳にすることがある。
競技環境が変わっても、エンジョイでボールを蹴る道はある。
本人たちがサッカーを嫌いになったわけではないかもしれない。
それなのに、「終わり」だけが先に語られてしまう。
サッカーは、誰でも、どこでも、自由に楽しめるスポーツだ。
だから世界中でプレーされている。
いつからこんなにも、選ばれた者だけの崇高なスポーツになったのだろう。
例えば、
「この試合に負けたら引退です」ではなく、
「高校サッカーという舞台は、ここで一区切りになります」
そう言い換えるだけで、サッカーは終わりではなく、通過点になる。
素敵な実況と解説で、サッカーの魅力が、もっと自由に、広がって欲しい。